概要:山口県萩を旅行したのが2年前の桜の季節だった、その時訪れた「萩博物館」の学芸員の方の説明で開城以来の天守が現存している城は全国で12城しかないと聞かされた、その頃は「~開府400年祭」が各地で催されていたのでこのような話題が出たのだろう。山陰・山陽・近畿方面の旅行だったので、城は松江城→岡山城→姫路城→大阪城→名古屋城の順で巡った、その中で「松江城」と「姫路城」が現存12天守だった。~100選と違い12天守なら無理なく旅行がてら回れそうだと思い現存12天守を調べてみると何と「四国」に4天守(丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)存在することがわかった。そこで4泊5日で4天守全てを巡る旅に出た。

アクセス:予讃線「丸亀」駅から徒歩約15分
その他:丸亀城HP讃岐富士

高松駅:高松駅前ホテルに2泊、出発は”うどん県”高松駅だ、駅構内はこんな感じでうどん県情報満載だ。乗車に先立ち高松駅みどりの窓口で「四国グリーン紀行」なる4日間有効のフリーきっぷを購入、JR四国全線+土佐くろしお鉄道全線+JR四国バス(路線バス)そして特急・グリーンの指定席料金も含まれ20,000円なので四国全域をくまなく旅するには最適なキップだと思い購入。
丸亀駅:「予讃線」琴平行きで約30分で「丸亀」駅に着く。午前9時少し前、駅から「丸亀城」までは約1Km、タクシーの姿もない、単純な道筋なので歩いてゆくことにした。駅前広場に石のオブジェ(椅子?)があった、高松駅前広場にも似たようなオブジェがあった、何か”うどん”との関連があるのだろうか?
丸亀城:駅前の大通りを南へ真っ直ぐ700m程歩き交差点で左折するとそこから400m程で「丸亀城」大手二の門へ着く。裁判所前交差点から天守閣を見る、あいにくの空模様だ。
丸亀城:内堀と天守、なにやら立派な石垣が見える。
丸亀城:内堀沿いに大手二の門へ向けて歩いていたらこのような石碑があった。”伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい”、丸亀うちわの生産量は全国の90%とか、原材料の全てが四国で調達できたからとか。
丸亀城:大手二の門、枡形も見て取れる、ここから仰ぎ見ると天守両翼東西へ築かれた堅固な石垣が印象的だ、別名「石の城」と形容されるとか。右の櫓門が大手一の門で、太鼓門(内部見学自由)とも呼ばれ往時時を告げていたという。現在北側の大手門、当初は南側にあり天守完成から10年後に移築されたものだ。標高66mの亀山に築かれた平山城。
丸亀城:大手一の門を入り広場にでる、石垣に沿って「見返り坂」と呼ばれる急坂を登り、三の丸跡をへて二の丸、本丸そして天守閣(現存するのは天守閣のみ)のある頂上平場へ向かう。午前9時半前、人出はボランティアの方が多いぐらいだった。
丸亀城:見返り坂から見る北側扇の勾配の石垣。この近くに四国愛媛出身の俳人・小説家高浜虚子がここで詠んだ俳句の句碑があった。親切な地元ボランティアの方の説明が背後から聞こえてくる、何となく聞き耳をたて情報をインプットする。
丸亀城:見返り坂が鍵の手に右へ折れ曲がり更に急傾斜となる辺りで振り向く、瀬戸内海上に昨日列車で渡った本州-四国を結ぶ瀬戸大橋が見える。
丸亀城:三の丸跡付近から丸亀港、瀬戸内海をみる。
丸亀城:高浜虚子の詠んだ句「稲むしろあり 飯の山あり 昔今」は昭和24年秋、丸亀城で詠んだとか、三の丸跡地付近から見た讃岐富士(飯野山)。
丸亀城:見返り坂が終わる辺り三の丸跡地から二の丸、本丸の頂上平場へ最後の登り。幸運なことに晴天になってきた、見頃の桜と天守閣。
丸亀城:天守南側、西側に天守への入口がある。この日は4月6日(4と6が城)城の日で天守への入場は無料だった。
丸亀城:天守最上階、大手二の門付近から見上げた天守のイメージとは異なり、小さく簡素、石落としや狭間は1階北側にあるのみで戦いの城という雰囲気はほとんど感じられなかった。
丸亀城:天守最上階から丸亀港と瀬戸内海を見る。
丸亀城:展望を楽しんでから天守一階へ、右奥が入口。
丸亀城:天守を後にして再び見返り坂へ、子供たちの元気な歓声に振り向く。
丸亀城:石垣と桜。
丸亀城:午前10時半丸亀城を出て丸亀駅へ戻り、次の散策地「琴平」へ向かう。いい天気になってきた。