概要:奈良観光も今日が最終日、「薬師寺」→「唐招提寺」→「西大寺」の順に巡り、京都で1泊翌日京都観光して帰京。
すがすがしい朝の冷気を感じながら、朱色の回廊で囲まれた優美な「薬師寺白鳳伽藍」を巡り、その後「玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)」を見てその裏手の「大唐西域壁画殿」で平山郁夫画伯入魂の大作”大唐西域壁画”を鑑賞するという晴天の朝にふさわしいリッチな気分の散策を堪能した。

青丹よし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり、、、かつての奈良の都を彷彿とさせるあまりにも有名な和歌だ、現代によみがえった青丹色(青(常磐色)と丹(朱色))の優美な白鳳伽藍を巡りつつ遙かな往時を想像してみた。

南都七大寺の一つに数えられる薬師寺、最初に訪れたのは2009年春桜の季節で玄奘三蔵院の南側本坊寺務所前の薄墨桜が見頃だった。

アクセス:近鉄橿原線「西ノ京」駅下車約100mで「薬師寺」
その他:「薬師寺」、「南都七大寺

薬師寺:今回は近鉄橿原線「西ノ京」駅から南へ約400mの南門から入ることにした、世界遺産の石碑に朝日がさしていた。開門間もない時間で静かな雰囲気だった。
薬師寺:中門・回廊から見る西塔。
薬師寺:中門から望む薬師寺金堂、多くの人々の写経勧進により1976(昭和51)年白鳳時代の金堂が再建された、現在も続く写経勧進により伽藍の復興・修復などが進められている。
薬師寺:回廊、柱は飛鳥時代の法隆寺同様”エンタシス”様式だ。昨日訪れた法隆寺西院伽藍では外側が壁となっているが、薬師寺の回廊は複廊構造で外側と内側が緑色の連子窓(縦格子)付の壁面で区切られている。
薬師寺:東塔は薬師寺で唯一創建当初から残る建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史の重みと風格が伝わってくる。東塔は現在解体修理のため覆い屋の準備工事が進行中だった、幸いまだ2側面は見える状態だった、薬師寺の公式HPによると完成は平成30年、7年がかりの大修理だ。一見六重塔に見える三重塔は、明治時代に訪れたかの”フェノロサ”が「凍れる音楽」と表現したとか、しなかったとかで有名、しかし現在の薬師寺全体を見るがぎり小生にはそのような雰囲気は感じられなかった。フェノロサの訪れた明治期には多分この塔のみが荒れた境内に屹立していたのでそのような印象をもったのではと勝手に推測してみた。ところで、各層の下の屋根は裳階(もこし)と呼ばれるそうだ、昨日訪れた法隆寺金堂の一層にも同様な裳階が付いていた。幾多の修理の過程で白壁に変更されている連子窓は今回の解体修理で西塔のような格好に復元されるのだろうか。
薬師寺:金堂、1528年の戦火で焼失以来仮堂で約450年後の1976(昭和51)年白鳳時代の様式で再建・竣工したとか。広い境内の中央にゆったりと優美な佇まいで建っている。
薬師寺:1981(昭和56)年に復元・再建された西塔、各層に緑色の連子窓が付いている。
薬師寺:1981(昭和56)年に復元・再建された西塔、各層に緑色の連子窓が付いている。
薬師寺:回廊から西塔を仰ぎ見る。
薬師寺:西塔。
薬師寺:大講堂、薬師寺最大の伽藍で裳階付。2009年訪れたときはここで僧侶の機転に富んだ講話を楽しく拝聴した記憶がある。このとき購入した写経セットが未だ手つかずで自宅のどこかにあるはずだ。 堂内には弥勒三尊像(重文、白鳳~天平時代)が安置されている。
薬師寺:鐘楼。
薬師寺:国宝東院堂(鎌倉時代の築)。
薬師寺:回廊壁面画。
薬師寺:伽藍北側の輿楽門から出て道路を隔てた玄奘三蔵伽藍へ向かう。
薬師寺:正面に玄奘三蔵伽藍、手前の広いスペースはタクマラカン砂漠をイメージしたのだろうか。ここで何となく気分が切り替わる、工夫を凝らしたミュージアムのアプローチにも似ているとおもった。
 薬師寺:玄奘三蔵伽藍正面。
薬師寺:玄奘三蔵伽藍回廊と玄奘三蔵院。薬師寺と興福寺が法相宗(ほっそうしゅう)大本山、こちらには法相宗の始祖玄奘三蔵の分骨が納められているという。後ろに平山郁夫画伯「大唐西域壁画殿」の一部が見える。外からの写真撮影は許可されている。この後平山郁夫画伯入魂の大作「大唐西域壁画」をほの暗い館内で職員の説明付で鑑賞。絵画の公開期間はこちらで確認できる。