概要:伝統建造物群保存地区カテゴリー寺内町として指定されている奈良県橿原市の今井町町並み散策をしてみた。

東西600m南北310mの中で500軒余りが伝統的建築様式を維持していて、あたかも江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えた。訪れたのが12月中旬で寒く町中は閑散としていた。

天文年間一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿による寺内町建設に端を発するとか、往時は周囲に濠を巡らせ土塁を築いた城塞都市だったとか。天正3年(1575)織田信長に降伏、大阪・堺などと交流し商業都市として発展、堺と並び自治権が与えられていたとか。堺の商人で茶人の今井宋久の出身地でもある。

アクセス:近鉄橿原線「八木西口」駅またはJR桜井線「畝傍」駅から徒歩約5分
その他:奈良県公式「ホームページ

今井町:近鉄橿原線「八木西口」駅から南へ100m程歩きJR桜井線の下を横切り飛鳥川に掛かる蘇武橋を渡ると今井町の目印橿原市景観重要樹木第一号「蘇武エノキ」があり、車道を渡った西側が今井町だ。
河合家:後で知ったことだが、本来は町の総合資料館今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」で情報収集してから散策が常識のようだったが例によってまともにガイドブックを読んでいなかったのでかなりランダムな町並み散策となってしまった。
それはさておき、ここが「河合家」住宅(重文)で古くから酒造業を営んでいるという。
河合家:了解を得て中に入らせていただいた、土間続きに入り口から奥を見渡せる。入り口を入った右手(写真で左側)にはお酒がずらりと並べられていた。18世紀の建築で2階建て町家。
河合家:入り口から入って土間続きの奥、2階建てであることが見て取れる。
稱念寺:浄土真宗本願寺派の寺院、左が太鼓楼、右山門で本堂は重要文化財、太鼓楼は橿原市指定文化財。今井町はこの称念寺を中心に寺内町として発展したが、織田信長による武装解除の後堺・大阪のような商業都市として栄え現在に至っているという。

夢ら咲長屋(むらさきながや):称念寺の向かいにある休息所、ボランティアの方からしばし話を聞きながら一休みする。
今井まちづくりセンター:説明によると、今井まちなみ保存会の運営する集会場で、町屋改修モデルハウスとして整備されたとか。左上の格子状の構造物は耐震補強と同時に採光も考慮されているとか、他の随所に同じ補強が施されていた、天井には先ほどの休息所同様竹が使われていた。
春日神社:今井町の南西端に位置する「春日神社」、 旧常福寺の鎮守のために創建されたとか。山門が残っていた。
今井町:春日神社から正面奥に「今西家」の一部が見えている。
今西家:今西家(重文、今井町の西口を守ったことから今西姓を名乗ったとか)、徳川時代に今井は町となり、自治権が与えられ慶長年間(1600年頃)に惣年寄制がしかれ(今西家は惣年寄の筆頭を務めた家柄)、以来約300年の間自治都市として存続したとか。撮影はこのアングルで当家の了解を得ている。
耐震構造の面からも貴重な建築物で、地震工学の先生も見学に訪れたという、吹き抜けの土間と天井の間の梁が制震の役割を担っているのだろうか。
今西家:西側外観、旧環濠の一部の修復工事が行われていた。城郭を思わせる重厚な姿。
今井町:今西家を出て本町筋を西へ100m程歩くと「町家茶屋 古伊」があり、ここで冷えた体を温めつつ昼食をいただいた。
今井町:「古伊」の内部、18世紀前半の建物とか。
今井町:本町筋から一つ北の「中町筋」、「西光寺」近く。

今井町:「大和あげ」、奈良伝統の厚揚げ。
今井町:本町筋「今井郵便局」の向かい「喜多古美術」。
今井町:何とも懐かしい雰囲気の「澤井薬局」、日本薬剤師会基準薬局と書かれていた。
今井町:テレビCMでもおなじみの今井町風景、一見碁盤の目状の町割りのように見えるが実際は所々で道が鍵の手状に屈折させてあるため、全体を見通すことはできない。
今井町:北側に位置する大工町筋。
蓮妙寺:大工町筋の東にある「蓮妙寺」。