概要:重要文化財「旧開智学校校舎」は、松本城公園から500m程北に松本市立博物館分館として移築されている、白を基調とした「擬洋風建築」。旧開智学校校舎は現存する擬洋風建築として有名だとか、”擬洋風”って何だろうか、明治期日本の職人が西洋建築をまねて建てた建築をそういうらしい。正規の建築教育を受けた辰野金吾らの設計による「西洋館」とは区別しているようだ。

旧開智学校校舎は、筑摩県権令・永山盛輝(ながやまもりてる)主導により地元出身大工棟梁の立石清重(たていしせいじゅう)により設計・施工された。多額の建築資金の7割を松本町民の寄付で賄ったという、文明開化の1つの形だったのだろうか、廃仏毀釈で廃寺となった寺院の跡地に建ち一部にその古材も利用されているという。

アクセス:JR松本駅から徒歩約30分(2km)
その他:「旧開智学校(松本まるごと博物館)」

松本神社:松本城見物を終えて公園の北側から道路一本を隔てたところにある「松本神社」の木陰で小休止。神社前にこんこんとわき出る湧水があり「松本城下町湧水群」の一つとして環境省の名水百選に選定されている。
開智小学校:松本神社から北へ200m弱歩き突き当たったところに「開智小学校」があり、その奥に八角塔屋で白亜の建築物が見え、それが「旧開智学校校舎」だ。
旧開智学校:これが「旧開智学校校舎」で昭和39年女鳥羽川のほとりからここへ移築されたとか。
旧開智学校:斜め前から見た前景、屋根上の八角塔屋とバルコニーの唐破風そして白基調で白亜の華麗な建物はこの地の文明開化の象徴だったのだろうか。大壁は白漆喰、黒灰色のレンガ状に見える部分も漆喰仕上げ。
旧開智学校:正面から見ると中央の車寄せは中心から窓1つ右側によっていることがわかる、何か特別な意図があったのだろうか。八角塔上の避雷針に風見鶏風のシンボルが認められる、よく見るとそれそれ東・西・南・北の方角を示す文字シンボルが固定されていた。
旧開智学校:西洋風のバルコニーと唐破風飾り屋根の対比も何ともユニークでほほえましい。八角塔屋内部には時報用の鐘が吊られているとか。
旧開智学校:バルコニー下の龍の木彫は日光東照宮の龍をまねた物とか、旧開智学校校舎は明治9年竣工で廃仏毀釈で廃寺となった「全久院」跡地に建てられたことから部材も一部再利用されているのだとか。
旧開智学校:細長い校舎内の見学は建物に向かって右端から入場する。中央の廊下を挟んで両側に白壁で仕切られた教室などが作られている。左は特別展示室。
旧開智学校:展示室、昭和36年、近代の学校建築として最初の重要文化財指定を受けている。
旧開智学校:当時の教室風景。
旧開智学校:校舎は昭和38年まで90年間にわたって利用されていたという、国内で最も古い小学校校舎の一つに数えられるとか。往時の授業風景が想像される。
旧開智学校:屋根の棟に見られる模様と同様の模様が見られる。和紙が5層に貼られている天井。
旧開智学校:車寄せを校舎内から見る。
旧開智学校:2階の第10展示室、その向かいは明治天皇御座所で見学することが出来る。
旧開智学校:校舎内部のハイライト、2階の講堂。
旧開智学校:講堂間仕切り部の柱は廃寺となった全久院の古在が転用されているという。
旧開智学校:2階東側階段から1階へ下りると先ほど入場した1階入り口へ。
旧開智学校:パンフレットによると、愛媛県の「開明学校」および静岡県の「旧岩科学校(きゅういわしながっこう)」姉妹館提携を結んでいるとか。
旧司祭館:旧開智学校校舎から道路を隔てて「松本市旧司祭館」があり、これも明治期の洋風建築で長野最古の洋宣教師館として県宝に指定されている。
時計博物館:駅前ホテルへ戻る途中再び千歳橋(さんさいばし)へ、「松本市時計博物館」外壁の振り子(実際に動いている)大時計を見つつ本日の松本市散策を締めとする。