概要:春のさわやかな朝、宿泊したホテル前の「野口英世青春広場」から散策を開始、昔の雰囲気が残る野口英世青春通りを歩き「野口英世青春記念館」→「会津若松駅」→「飯盛山」の順に巡った。

アクセス:JR「会津若松」駅からまちなか周遊バス「ハイカラさん」で野口英世青春記念館前下車
その他:「野口英世青春館」、「白虎隊・会津若松市観光公社」、「会津さざえ堂公式サイト

野口英世青春通:「野口英世青春広場」、福島県生まれ世界的に知られる黄熱病の研究者でノーベル賞候補にもなった日本が世界に誇る細菌学者の「野口英世博士」の名がついた市民憩いの広場、正面に野口英世博士の銅像、向かって右が複合施設Dr.野口館で食事もできる。左側がイベントステージ。
野口英世青春通:赤煉瓦の通り、午前8時さわやかな春の朝。
野口英世青春通:重厚な蔵造りの家。
野口英世青春通:「野口英世青春館(2F)」、かつて野口英世がやけどの手術を受け医学を志すきっかけとなり3年間勉学に励んだ「旧会陽医院」跡。一階は喫茶室となっていた。
野口英世青春通:「八重の桜」、平成25年から始まるNHK大河ドラマのタイトル、会津藩の砲術師範の家に生まれた元祖ハンサムウーマン「新島八重」がヒロインのドラマだとか。1Fは「會津壱番館」”蔵作り洋館”、たしかに和洋折衷の造りだ、あいにくこの朝は満席だった。
野口英世青春通:右奥が階段でその横に野口英世が勉学に励んだときの机が置かれている。
野口英世青春通:野口英世が愛用した椅子、「ニューヨークの郊外、シャンデーケンにあった野口英世博士の別荘で使用されていた椅子」と書かれている、ロサンゼルス在住の作家 飯沼信子氏の寄贈。
野口英世青春通:「会陽医院」の看板と世界地図。
野口英世青春通:このような町並みが会津若松駅近くまで続く。
飯盛山:白虎隊の悲話で知られる飯盛山入り口。階段がきつそうだ!何の迷いもなく右手の動く坂道(有料)へ..
飯盛山:動く坂道の終点から更に石段を登り、戊辰戦争の悲話で知られる「白虎隊」の墓所へ。
飯盛山:白虎隊自刀の地、白虎隊の墓所から下った所、ここから会津城下が炎上するのを見て自刀を決意した場所とされる。
飯盛山:若き白虎隊員の石像が見つめる彼方に鶴ヶ城が見える。
飯盛山:白虎隊墓所から階段を下ると、右に下山道の案内板がありスロープを下り会津栄螺堂(あいづさざえどう)へ、以前TVで見て知っていた独特な6角形の栄螺堂、飯盛山へ来てここにあることに初めて気がつく。
飯盛山:ここが栄螺堂の入り口、建立は1796年で正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)といい、国の重要文化財指定を受けている。
飯盛山:中へ入ると螺旋状の階段かあり1回転半で最上部へ、下りは別の通路を1回転半で出口へ。「三匝堂」の名の由来は、3回めぐる(匝)ところからきているとか、栄螺堂は、かつて飯盛山にあった正宗寺(しょうそうじ)の住職僧郁堂(いくどう)の考案した建物だとか。
飯盛山:これが最上部の天井、6角形の建物だということがわかる。かつては(神仏分離令以前)スロープに沿って西国三十三観音像が安置され、三十三観音巡りが行われたとか。
飯盛山:下りは左回り、一方通行なのですれ違うことはない、斬新なアイデアだ。
飯盛山:ユニークな外観の栄螺堂と見頃の桜。
飯盛山:栄螺堂から一段下ると、そこには幾多の変遷を経て元禄年間に完成、猪苗代湖の水を会津地方へ灌漑するための人工的な流れがあった、飯盛山の中腹に掘られた長さ約170mの「戸の口洞穴」(とのぐちどうけつ、はめ込み写真)から流れ出る灌漑用水だ。戸の口堰洞穴は戊辰戦争の時戸の口原の戦いで敗走する白虎隊員が通ってきて飯盛山で自刀したという悲話が有名。