概要:かつて内子の経済的繁栄を支えた「木蝋生産」を営んだ商家の上芳我邸が1990年「木蝋資料館 上芳我邸」としてオープン、一般に公開されている。江戸後期-明治期に製蝋業者数123軒を数え最も盛んだった時期には国内最大の生産量を誇っていて、海外にも輸出されていたとか。大正期から衰退が始まり、敷地、木蝋生産施設などを往時の格好で残しているのは全国でも上芳我家だけだとか。貴著な産業・文化遺産でもある「木蝋資料館」を見学した記録アルバム。

「伝統的建造物群保存地区」の内子町町並散策で「木蝋資料館」を訪れた、朝ということもあり多分小生が入場1番目、親切な案内付きで往時の繁栄を残す邸内を一巡りしたあと、敷地内の製蝋設備を見学した。

アクセス:JR内子線「内子」駅から1500m(徒歩約25分)
その他:「内子町観光ページ

内子町:効率的に巡るため内子町町並散策を町並最奥の「髙昌寺」から開始する。近くには八日市・護国町並保存センターがあり立ち寄った。町並を歩き始めて少しの所で「とこや 市兼」の暖簾、しかし暖簾と反対側に自然木のオブジェがありそこに「鏝絵(こてえ)」の立て看板が。
内子町:上部二つの虫籠窓の間に「鏝絵」で描かれた獅子が目にとまる。はめ込み写真は先ほどの「とこや 市兼」の鏝絵ギャラリーで、左上に市兼武志さんの”ごあいさつ”があり鏝絵について..本芳賀邸修理の際かいま見た鏝絵に魅了され云々と鏝絵に対する熱い想いが書かれていた。
上芳我邸:上芳我邸、玄関を除く平入り全面が出格子で2階が白、1階がベンガラ色と凝った意匠的。玄関近くには虫籠窓となまこ模様と多彩だ。
内子中学校:上芳我邸から道を挟んで「内子町立 内子中学校」がある、内子町の町並にとけ込んだデザインの校舎、日曜日なので静かな佇まいだった。
木蝋資料館:広大な上芳我邸主屋の南端に「木蝋資料館 上芳我邸」の入口がある、ここから見て邸内右側が無料開放されていて、蝋しぼり小屋、土蔵、物置などが見学できる。木戸をくぐり左は有料で重要文化財の上芳我邸主屋などの内部を見学できる。
木蝋資料館:木蝋資料館全体図で有料ゾーンと無料ゾーンが色分けされている。有料ゾーンは邸宅部と木蝋資料展示棟で構成され、無料ゾーンは製蝋施設・設備などの展示がある。
木蝋資料館:先ずは主屋1階と2階そして製蝋施設展示の無料ゾーンの順に巡った。主屋1階、中庭を囲んで、この主屋、炊事場、離れ座敷、仕舞部屋そして風呂場棟が配置されている。書院造りの範疇なのだろうか?繊細な障子にしっかりとした梁天井の組み合わせ独特な雰囲気に思えた。
木蝋資料館:ふすま、障子、欄間と見所が多い。
木蝋資料館:主屋と離れ部屋を結ぶ格好で建つのが仕舞部屋と便所・産部屋で中庭に面している。各棟の棟には鴟尾(?)が着いている。
木蝋資料館:軒下の腕木に彫刻が施されていた、飛騨古川へ行ったときにも同じような腕木を見た飛騨古川の場合は棟梁毎に決まった模様があると聞いた。
木蝋資料館:主屋の2階何故か間仕切りが未完のため、梁組がよく見える、3年間の修復では耐震補強も行ったと説明された。
木蝋資料館:先ほどの仕舞部屋と中庭を挟んで向かい合う格好で建てられた「炊事場」。炊事に必要な設備が揃っていて使用人や職人の食事もまかなっていたとか。
木蝋資料館:左が離部屋でその右隣が木蝋資料展示棟(今回は見なかった)で更にその右隣が収蔵庫となっていた。手前のエリアは多分「蝋晒」場だったとおもう。
木蝋資料館:こちらが無料ゾーンで左の切り妻が主屋南側、右が「炊事場」、天気に恵まれ気持ちの良い朝だった。
木蝋資料館:「蝋搾り小屋」平面図。ちなみに木蝋について、資料館のパンフレットによると
1.原料のハゼの実を砕いて粉にする。
2.蒸して搾り、生蝋を生成。
3.漂白して、木蝋となる。
といったことのようだ、図の蝋搾り小屋では上記1.-2.の行程が行われていたようだ。本芳我家初代、弥三右衛門により蝋晒しの技術「伊予式蝋花箱晒法(いよしきろうばなはこさらしほう)」が開発され、作業の効率化・均一化そして品質が向上し輸出も行われ巨万の富を築くこととなったとか。


木蝋資料館:「蝋搾り小屋」と井戸の外観。
木蝋資料館:搾り小屋内部、手前が搾り場出右奥にこなし場の一部が見える。
木蝋資料館:炊事場の東端で風呂場・便所。
木蝋資料館:土蔵で休息所・販売所・情報コーナーとして利用されている。資料館で内子町の歴史にふれて町並散策へ...