概要:現存12天守巡り四国3城目は、伊予「松山城」、道後温泉と共に「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されている。松山市内中心部標高132mの勝山に築城された松山城は四国最大の連立式天守のお城で賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明による築城。城山公園が「日本さくら名所100選」の指定も受けている。「姫路城」、「和歌山城」と並んで日本三大連立式平山城伊予「松山城」の美しくかつ堅固な備えの城内を巡った。折しも春爛漫の本丸広場で繰り広げられていた全国野球拳大会の”~エッサッサー アウト、セーフ、ヨヨイノヨイ あいこでほい...”の元気な歌声(かけ声)が城内外に心地よく響いていた。

アクセス:JR「松山」駅から徒歩
その他:「松山城」公式HP「俳句甲子園」公式HP

堀之内:松山市は俳人「正岡子規」の出身地、子規といえば東京の上野恩賜公園に「正岡子規記念球場」があるくらい野球とは縁の深い文人だ。
二の丸史跡庭園:JR予讃線「松山」駅へ着いたのが午前10時頃、初めての松山だ市電に乗らず徒歩で駅前の大通りを東へ約700m程行くと「城山公園」堀之内のお掘りへ突き当たる。お堀端の桜が見頃満開だった。
松山城:南側の堀に沿って歩き、市電「南堀端」駅近くの橋を渡り堀之内地区へ入り、「二の丸史跡庭園」を目指して適当に歩く。史跡庭園上方に松山城連結式天守が見える。史跡庭園へ立ち寄り庭園内を一通り巡り県庁裏の登城道から長者ヶ平への坂道を登る。
松山城:長者ヶ平のロープウエイ駅まで歩いて登ってきて、松山駅観光案内所で購入したロープウエイ往復券のことに気がついた!”坊ちゃん”じゃないけど”しゃくに障った”のでともかく一旦ロープウエイで麓へ下りることにした、ロープウエイ駅でもぎりのマドンナにキップを見せるとけげんな顔で真ん中に鎮座している帰りのキップをもぎり取って残りを手渡された。丁度昼飯時だったので山麓駅近くのレストランで昼食を摂り、再び山麓のロープウエイ駅へもどり、今度は”リフト”で長者ヶ平へ戻った。桜並木の道を進むとやがて急峻な天守の城壁が近づいてきた。巽櫓を見上げる、朝良かった天気があいにくこの頃より曇りとなり時折小雨がぱらぱらと落ちる有様になっていた。
松山城:「巽櫓」を仰ぎ見て、急峻・堅固な本丸城壁南面を西へ進むとやがて前方に「太鼓櫓」そして遙か奥に「大天守」がその姿を現す。
松山城:太鼓櫓の石垣に沿って進み「戸無門(重文)」を抜け左折するとそこが松山城最大の門「筒井門」だ、この位置からは石垣で見えないが筒井門の向かって右隣に防御の要「隠門(かくれもん、重文)」(はめこみ写真)が有り、筒井門から入ろうとする敵の背後を襲う構えとなっているとか。
松山城:太鼓門を抜けると正面に太鼓櫓が見え道なりに進むと右手に待望の松山城「大天守(重文)」が姿を現す。
松山城:春爛漫、満開の桜の向こうに「大天守」、ここから見ると昨日の端正な高知城天守とは異なり、より大きく量感のある雰囲気の天守だ。
松山城:大天守は、南北に細長い本丸北側の「本壇」といわれる石垣の上にあり連立式天守の要となっている。右奥大天守(重文)、中央手前小天守、左奥南櫓、突き当たって右に一の門(重文)がある。いよいよ天守への入口だ。
松山城:一の門(重文)、これより城内禁煙の立て看板有り。天守に近ずくほどに天守全体像が見えにくくなるこれが戦いの城の本質だろうか。
松山城:一の門(重文)→二の門(重文)→三の門(重文)そして筋金門、複雑に絡み合う多くの門を抜けると、いよいよ四方を大天守・小天守・角櫓などで囲まれた「天守広場」に出て連立式天守の全貌を内側から見渡す。内門近くの入口からいよいよ大天守へ入場する、連立式天守城内は明るく整然と整備されていた。

松山城:連立式天守内は整備されていてテーマ毎に効果的にディスプレイされていた。多くの独立した天守の城と異なり広い廊下で連結され水平面的に展開された開放的な城内は今まで見てきた他の天守とは異なる新鮮な印象だ。

松山城:小天守から「天守広場」を俯瞰する、右大天守、左奥北角櫓、左の唐破風が「玄関多聞」の玄関、正面奥が「内門」。
松山城:小天守から南方向の展望、中央に市役所前に停車する市電の姿が見える。

松山城:小天守から東方向を俯瞰する、手前「一の門(重文)」、右「一の門南櫓(重文)」、左「三の門南櫓(重文)」、奥「二の門南櫓(重文)」。

松山城:連立天守内の畳敷き座敷。

松山城:大天守から本丸広場を見る、先ほどまでの花曇りから晴れの天気になってきた。急峻な城壁の縁に櫓が建ち並ぶ。
松山城:大天守から本丸広場を見る、先ほどまでの花曇りから晴れの天気になってきた。急峻な城壁の縁に櫓が建ち並ぶ。
松山城:本丸広場で開催されていた第42回 野球拳全国大会の模様