概要:上野から地下鉄銀座線で浅草へ、花見と建設途上の東京スカイツリー見物。浅草から直線距離1.2K程のところにあるスカイツリー、浅草の新名所でもあるようだ。浅草も「東日本大震災」自粛ムードの影響で例年の花見時期の華やかさは感じられなかった、が、このようなある種秩序ある花見を見る機会は今回が最初で最後にしたいものだと思いつつ、隅田川で漁をしていた兄弟の漁網に 観音様がかかり、それをお祀りしたいわれの浅草寺(せんそうじ)を巡り、春のうららの隅田川をそぞろ歩いてみた。

アクセス:東武線「浅草」駅
その他:「浅草寺」、「東京スカイツリー

東京スカイツリー:隅田川に架かる「吾妻橋」のたもとからのスカイツリー、向かって右のユニークなビルが「アサヒビール本社」左が「墨田区役所」、東京スカイツリー完成まであと約1年。しかし外観的に完成に近いといえそうだ。電波塔として現在世界一の高さだとか、地デジへの完全移行(岩手、宮城、福島を除いて)が今年の7月24日、なぜかスカイツリーの完成がその約1年後。つまりアンテナの方向変更が必要な地域では、、、。
雷門:浅草寺参道入り口の「雷門」、ここから見る限りそれなりの賑わいのように見えるが、よく見ると外国からの観光客の姿が極端に少ないことに気がついた。
仲見世:仲見世に入り驚く、いつになく寂しい雰囲気、やはり外国人観光客をほとんど見かけない。快晴の青空が何となく空虚に感じられた。早く震災前の賑わいを取り戻してほしいものだと思いつつ浅草寺本堂へ向かって歩く。
仲見世:何となくのどかな雰囲気も漂っていた。
仲見世:横断幕に「東北地方太平洋沖地震、、、」この頃はまだ今回の大震災の名称が「東日本大震災」に統一されていなかった。
仲見世:仲見世のさくらも見頃を迎えていた、宝蔵門をくぐれば修復が完了した「浅草寺本堂」だ。
宝蔵門:宝蔵門と新名所東京スカイツリー、門の両脇に山形県村山市奉賛会奉納の大きな草鞋。
五重塔:修復が終わり朱も鮮やかな浅草寺本堂から見る五重塔。
旧五重塔跡:「旧五重塔跡」この石碑最近できたのだろうか、宝蔵門を挟んで現在の五重塔とほとんど対称的な位置。確か以前は路面に小さなマークが埋め込まれていたと記憶している。
浅草寺本堂:本堂内天井中央に「川端龍子」、両側に「堂本印象」の絵がある。
浅草寺本堂:本堂から宝蔵門方面、やはりまばらな人出だ。
山の宿の渡し跡:隅田川のこの付近に「山の宿(しゅく)の渡し」があったとか、埋め込み写真はその石碑。台東区教育委員会の案内板によれば吾妻橋上流約250mのところにあった渡船場で花川戸河岸と本所区中ノ郷瓦町の間を結んでいたとか。
東京スカイツリー:隅田川のテラスに下りスカイツリーを眺めつつ春のうららの隅田川を上流方向へそぞろ歩いてみた。
東京スカイツリー:対岸は隅田公園、スカイツリーとさくら結構いい取り合わせに見える。
さくら橋:やがてさくら橋へ、ここからのスカイツリーなかなかいい感じだった。
さくら橋:さくら橋とスカイツリー。
隅田川:大川(隅田川)かつては行き交う船でにぎわっていたのだろうか、ともあれかの滝廉太郎作曲「花」で春のうららの隅田川、、、と歌われる隅田川、両岸のさくらは見頃だった。
双鶴飛立の図:さくら橋に建つ平山郁夫画伯原画による「双鶴飛立の図」彫刻碑、彫刻は細井良雄氏。双鶴は上流へ向かって羽ばたいていた。
さくら橋:さくら橋たもとから隅田川上流方向の千住方面を望む、ここから上流へ4-5K程先に日光街道に架かる千住大橋付近は松尾芭蕉「奥の細道」旅の出発点でもある。