概要:江戸城跡といっても現在は「皇居」として使われており、一般に公開されているのは「皇居東御苑」、「北の丸公園」と「皇居外苑地区」。このアルバムは「皇居東御苑」を散策したときの記録で大手門から入り、「三の丸」→「二の丸」→「本丸」とめぐり北桔橋門から出るまでを気の向くままに散策した記録。大型連休中比較的静かで空気の美味しい東京都心、連休直後の土曜日まだその余韻が残っていて、人出も比較的少なくのんびりと散策することができた。

アクセス:東京メトロ千代田線・都営地下鉄三田線「大手町」駅C-13b出口から徒歩約5分で大手門
公式HP:「宮内庁公式HP

大手門:大手門、江戸城正面玄関口、向かって右が大手壕、左が桔梗壕、この日は何かの補修工事が行われていたようだった。御苑への出入り口はこの「大手門」、「平川門」と「北桔橋門」の3カ所。
大手門:枡形の中から見た渡櫓門、戦災で消失、昭和43年再建とか。
三の丸尚蔵館:以下は宮内庁公式HPからの抜粋、「三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類が平成元年6月,国に寄贈されたのを機に,これら美術品を環境の整った施設で大切に保存・管理するとともに,調査・研究を行い,併せて一般にも展示公開することを目的として,平成4年9月に皇居東御苑内に建設され,翌年11月3日に開館しました。」 。 この日は、テーマ「花ひらく個性,作家の時代-大正・昭和初期の美術工芸」で一般公開されていた。入苑受付はこの少し先でプラスティックの”入苑タグ”を受取り、「北桔門橋」口から出門するときに返却した。
百人番所:右「百人番所」は大手三の門を入ると左手にある、本丸へ至るにはこの最大の検問所を経なければならなかった。同心が常時100人つめていたとか、長さ50m強、ひときわ目を引く存在。散歩はここから北へ進み武蔵野の面影を残す二の丸雑木林を経て「二の丸庭園」へ。
二の丸・汐見坂:二の丸雑木林辺りから「汐見坂(写真左上に見える坂)」を見る。
二の丸雑木林:武蔵野の面影を残す新緑の二の丸雑木林、若葉の木漏れ日が目に優しい。ここが東京都心とは思えない、何の変哲もなく作為も感じられないこの情景こそがこの日のハイライトだったのかも。
二の丸庭園:つつじは見頃を過ぎていたが、まだ少しばかり残っていた。
二の丸庭園:二の丸から三の丸にかけて広がる日本庭園は東御苑の見所だ。
二の丸庭園:南池、手前がシラン、向こうがナスヒオウギアヤメ?そして池の中にコウホネ。銀座当たりから飛んできたのだろうか大きなハチがたくさん飛んでいた。
二の丸庭園:二の丸池の藤棚。
二の丸庭園:二の丸池、南(奥)と北(手前)に分かれていて池の間には橋があった、奥の花菖蒲田、見頃は6月か。
汐見坂から白鳥壕:二の丸から本丸への汐見坂、ビル群の辺りはかつて日比谷の入江だったとか、ここから日の出の海が望めたのだろうか。
富士見櫓:汐見坂を上り、南へ進み「富士見櫓」までくる、何処かの歴史探訪ツアーらしき集団に出会う。かつて19あった櫓も現在残っているのはこの「富士見櫓」を含めて3つのみとか。
松の廊下跡:富士見櫓から北へ少し進むとかの「忠臣蔵」で有名な「松の廊下跡」へ、立て看板のみでその痕跡はなかった。
天守台:3代将軍家光の代に国内で最も大きな天守閣が完成(1638年)していて、外観5層内部6階、地上からの高さ58mだったとか。しかし、1657年明暦の大火(振袖火事)の飛び火で消失、その後今日まで再建されていない。
天守台:天守台は展望台として解放されていた。
天守台:天守台から芝生広場になっている本丸御殿跡を見る。
天守台:北桔橋門出口付近で振り返ると後に天守台が見えた、徳川氏興隆の基礎が確立した家光の代、もはや消失した天守閣の再建は必要がなかったのかもしれない。
北桔橋門:東御苑の散策はここで終え、北桔橋門から出て「北の丸公園」へ向かう。