概要:この年、青梅の「吉野梅郷」へ行く予定はなかった。しかし、吉野梅郷で平成21年国内初となる”ウメ輪紋ウイルス”が発見され、以来感染した梅木の伐採などで防除してきたが感染の拡大を防ぐことができず、「梅の公園」も例外ではなく、この3月の梅まつり終了後園内全ての梅の木が伐採されるとのニュースを見聞きするにおよんで2014年で一応終止符をうつ吉野梅郷梅まつりを惜しみつつ吉野梅郷を散策した。今回は通常日向和田駅スタートで二俣尾駅ゴールのコースを逆に歩き「梅の公園」滞在時間を長くした。

アクセス:JR青梅線「二俣尾」駅
その他:「吉川英治記念館

海禅寺:二俣尾駅から青梅街道を立川方向へ250m程歩き参道が青梅線を横切る曹洞宗「海禅寺」へ。左手前が「総門」で参道から外れているが、平成7年の解体移築・修理で現在の位置に移動。
海禅寺:参道の石段を登り詰めると重厚な「山門」とその奥に「本堂」が現れる。海禅寺境域は平成22年東京都指定史跡となっている。
海禅寺:鐘楼と山門、境内に枝垂れ桜もあった。桜の頃、機会があれば青梅枝垂れ桜巡りも良いだろう。
海禅寺:境内からの展望、多摩川の両岸に連なる奥多摩の山、奥多摩は東京の奥座敷といわれ、東京の雑踏からは想像しがたい長閑な山村風景が残る。
青梅:浸食で両岸が鋭く切り立ち川幅が広い多摩川をまたぐ橋長176m、水面からの高さ33mで2009年「土木学会選奨土木遺産」の奥多摩橋から河岸段丘を見つつ川をわたり吉野街道へ、ここで信号を渡り吉野梅郷方面へ200mほど歩き鎌倉街道の標識がある「愛宕神社」の入口へ。
愛宕神社:愛宕神社の参道を少し歩くとこの鳥居と急な石段に行き着く。
愛宕神社:急な石段を登り詰めると愛宕神社本殿、ここから市内と背後の山々を展望。
吉川英治記念館:愛宕神社の急な石段をおそるおそる下り「吉川英治記念館の裏木戸に面した生け垣に沿って記念館入り口へ。
吉川英治記念館:記念館入口の長屋門から入る、2体の石像と正面に母屋。
吉川英治記念館:長屋門をくぐると右手に蔵と井戸があり、蔵を背景に紅梅を撮る。
吉川英治記念館:こちらは母屋の切り妻と白梅。
吉川英治記念館:順路に従い母屋に沿って歩く、奥の洋風建築が書斎、昭和20年日本の敗戦を機に筆を断ち2年間この地で晴耕雨読の日々を過ごしたとか。
吉川英治記念館:書斎(明治中頃の築)前の枝垂れ梅が静かに揺れていた。書斎には机・椅子・筆記具などが置かれていてガラス越しに見ることができた。青梅時代の前半はここを書斎としていたが、後半の「新・平家物語」執筆は母屋で行われ、昭和25年4月から「週刊朝日」に連載されたとか。
吉川英治記念館:書斎斜め上から母屋裏手にかけて建てられた展示室、書斎前の遊歩道を上ると左手に存在感のある大きな椎の木がありその少し先に「展示室」の入口がある。展示室(1976年竣工)の設計は「谷口吉郎」氏によるものだ。
吉川英治記念館:椎の幹と紅梅、山麓傾斜地に作庭の草思堂庭園、さほど広くはない、長屋門近くから見ると奥に向かって緩やかに高くなり植栽がほどよく見えさらにその先に奥多摩の山と木々を背景として取り込みまとまりの良い庭園となっている。
吉川英治記念館:展示室前の遊歩道は草思堂庭園を周回、長屋門の入口へ続く。
吉川英治記念館:記念館エントランスホール、吉川英治に関するビデオが放映されていた。広いガラス窓から庭園の景色も堪能できる。エントランスホールから展示室へ入るとそこには自筆原稿など吉川英治ファンならずとも一見の価値ある資料が展示されている。
吉川英治記念館:カタクリの花が見頃だった。
吉川英治記念館:庭園を巡り長屋門近くから母屋を見る。養蚕農家だった屋敷を昭和16年に買い取り、昭和19年3月一家で東京赤坂から疎開、昭和28年8月までここで生活していたとか。
吉川英治記念館:展示室のエントランスホールでひととき休息し草思堂庭園で癒され、吉野梅郷へ向かう。